1-5 天孫降臨の地は、九州北海岸しか考えられない 

 天孫降臨の地と、一般に言われているところは、2ヶ所ある。

  1.宮崎県と鹿児島県との県境にある高千穂峰
  2.宮崎県の北方の高千穂町

 しかし、1、2とも、そんなことが言えるであろうか。
 古事記によると、天孫・邇邇芸の命が天降った所を示す文句が2つある。

  @筑紫の日向の高千穂の久士布流多気(くしふるたけ)。
   そこに立って、邇邇芸の命が言うには、
  Aここは韓国に向ひ、笠沙の御前に真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照
   る国ぞ、かれ、ここはいと吉き地

 つまり@とAの言葉から、1か2だと言われているのである。
 しかし、そんなことが言えるのであろうか。検討してみよう。

 まずこの神話は、神武天皇が九州から東征する前の話であるから、九州を舞台とした話である。したがって「筑紫の日向」という言葉の筑紫は、後の筑前である。筑紫という言葉は九州という意味でも使われるが、それはずっと後の畿内で九州を指す言葉として使い始めた言葉であって、九州で筑紫といえば、筑前のことである。
 決定的なのは「ここは韓国に向ひ」という言葉である。
 「韓国と向かい合っている」ところと言えば、九州の北海岸しか考えられないではないか。
 1と2が、どうして「韓国と向かい合っている」ところと言えるのだろうか。

 従来、「笠沙の御前」とは、鹿児島県の笠沙町とそこの野間岬に比定されていた。こんな馬鹿なことがあろうか。

 古田武彦氏は「筑紫の日向」を「福岡県にある日向峠」付近に比定した。私も賛成である。「高千穂」の高は強調語で、「千穂」は「穂のように尖った峰が沢山ある」の意。「久士布流多気」は「奇し降る岳」で「奇瑞が降ってくる」の意。
 「笠沙の御前に真来通りて」は「笠状の砂浜の前をまっすぐ通って」の意味だと思う。
 「朝日の直刺す国、夕日の日照る国」の言葉は、ほとんど意味がない。なぜなら「朝日が差し、夕日が照る所」なぞ、どこにでもあるからである。ただ言葉を飾っただけに過ぎない。

 1-4で検討したように、倭国はもともと、海洋国だったのである。海洋国が陸上化していく過程の話が、天孫降臨説話となったのである。対馬海峡を中心とした海洋国・倭国が上陸していくに、もっとも相応しい場所は、九州北海岸であり、中でも博多湾周辺がその中心となったのであろう。
 しかし、海洋国が上陸して来たのが、九州北海岸だけだと考えるのは間違いであろう。北の韓国側にも同様に上陸していったであろうし、日本でも他の地にも上陸していったであろう。
 したがって一時期の倭国は、韓国南部を含んでいたであろうし、それが後に「任那」となったのであろうと思われる。

  また、国生み神話で、九州島は、
「身一つにして面四つあり、面ごとに名あり、かれ、筑紫の国を白日別といひ、豊国を豊日別といひ、肥の国を建日向日豊久士比泥別といひ、熊曽の国を建日別といふ」
 と書かれている。
 この「別(わけ)」とは、分国という意味である。では、どこからの分国かと言えば、当然、前の項1-4で検討した壱岐の島の国からの分国、つまり「アマ(天・海)国」からの分国ということになるのである。
 そして、やがて1世紀頃には、筑紫の国が倭の中心地となっていったのであろう。

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