1-8 銅鐸文化の消滅の意味するもの


 誰でも、古代2・3世紀の日本は、銅剣銅鉾文化圏と銅鐸文化圏に大きく分かれていたことを、学校の歴史の時間に習ったことがあると思います。
 ところが、西暦300年頃、近畿圏を中心とした銅鐸文化が突然消滅して、以後前方後円墳を中心とした古墳時代に移行してしまうのです。
 これは一体、何を意味しているのでしょうか。

 北九州を中心とした当時の墳墓からは、いわゆる三種の神器と言われる剣・鏡・玉がセットで多く出土しており、それを継承する形で、近畿地方では、銅鐸文化が滅んだあと古墳時代が始まっています。そして現在の皇室も
三種の神器を引き継いでいるわけです。古墳時代には副葬品として、特に鏡が目立ちます。
 このことは、自然に考えれば、300年頃、九州勢力の一部が東征して銅鐸文化を滅ぼし、古墳時代を始めたと考えられ、私もそうに違いないと思います。いやそうとしか、考えられないのです。
 古事記や日本書紀に記されている神武天皇の東征は、この時のことがモデルになったのでしょう。
 そうなると、この西暦300年頃というのは、日本古代史上、最も重要な革新的な時期だったといえるのです。その少し前までは、九州では邪馬台国の女王・壱与が倭国を統治していたのです。
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